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トマオナの部屋

医学を勉強しながら、日々妄想したことを書いてます。

言葉にならない

この前inochi学生フォーラムの先輩、石崎さん(仮)と話したときのこと。


(inochi学生フォーラムについては過去の記事
大阪万博ー若者100の提言書ー』↓↓を参照)
http://n-toma707.hatenablog.com/entry/2017/05/07/112405


そんなこと言われても困るんだよな~みたいなことがあった。

「高校生のときフォーラムに参加した経験にインスピされて小説を1つ書いたんですよ、あの頃」

話の流れで私の方からこう切り出した。私は時々趣味で小説を書いたりするのだが、それが良い話のネタになると思ったのである。

「おおー」

すると予想通り良い反応が返ってきた。ちなみに意識高いフォーラムの幹部ということでこの石崎という人も当然、超意識高い。ここでの意識高いっていうのは嫌味じゃなくて、起業する人系の意識の高さである。イノベーティブというか。

「どんな話?」

石崎さんが聞いてきた。もっともな質問。

「近未来の医療体制を描いた小説なんですけどね。医療3.0って言葉があるじゃないですか、その次の医療4.0なるものを自分なりに想像してですね―」

意識の高い石崎さんに合わせて意識の高い答えをぶつけてやった。

「へえ~、面白いね。その未来の医療4.0はどんな社会なの?」

「えーと……医療の主体が医師から市民に完全に移った社会でうんたらこうたら」

ここまでは良かった。大体予想通りの流れだった。しかし問題は次の石崎さんの言葉だった。

「なるほど。で、君はその社会がユートピアなのかディストピアなのか、どっちだと思ってるの?」

「えー、ディストピアの方ですかね……」

どちらかと言えばそうだと思ったからそう言った。けど100パーセントではない。というかもともとはどちらとも思ってない。「現代社会は縄文時代と比べて良くなったか、悪くなったか」と聞かれているのと感覚的には同じだった。いきなりそんなん言われても知らんし、今は今だし、昔は昔だし、まあどっちの意見もあるんだろうけど……みたいな。

ただその小説を書いてるとき、私自身はその社会をある種不気味な世界として胸の内に思い描いていたから、心象的にはネガティブなイメージが強くて、そう答えた。しかしこれがまずかった。

「どういう点でディストピアなの?」

「いやまあ……システムの介入で人が人であるための何かを失ってどうたらこうたら」

「それが不幸なん?」

「いや、えーと、幸せの総量を数値で表すことができたら、それはきっと大きくなってるとは思うんですけど……ただそれは未来の人間の話であって今の価値観ではうんぬん」

「本当の豊かさは何なんだろうみたいな?」

「うーん、何と言ったらいいのか」

大体こんな感じの話をした。絶妙に話が噛み合ってない感じを私は上手く表現できただろうか。ともかく話が噛み合わないのだ。

私が言いたいのは曖昧で抽象的で感情的な話。でも石崎さんの言葉は具体的で現実的で建設的。なんか話してて思考回路が決定的に違うと思った。まさしく、「そういうこと言われても困るんだよな~」って感じ。

その一端が自分にあることは認める。この程度の会話の中で相手の質問に上手く答えられなかったということは、つまり自分の考えた話の構成が甘かったということに違いない。でも今その話は端っこの方に置いておく。

ただ、楽しいこととか、面白いことって、その本質のところはときに説明付けを嫌うことがあるなと思った。

文庫版『ジョジョの奇妙な冒険』第四部の最終巻で荒木飛呂彦が後書きで「描いている自分にしか分からない楽しみがある」みたいなことを言っていた。
……共感できる気がする。言葉にならない、ときには誰にも伝わらない、そういうところに大切なことが隠れている。そんなことは往々にしてある。

言葉にするとありふれて退屈な文句だけど、この言葉に心から賛同してくれるような人は、最近ほとんどいないような気がする。